室蘭・登別市のピアノ教室・音楽教室・個人レッスン。
無料体験レッスンも受け付けております。
<掲載作曲家(41名)>
≪ルネサンス時代≫
G.パレストリーナ C.モンテヴェルディー
≪バロック時代≫
A.ヴィヴァルディー G.ヘンデル J.S.バッハ
≪古典派時代≫
F.ハイドン M.クレメンティー W.A.モーツァルト
L.v.ベートーヴェン F.クーラウ
≪ロマン派時代≫
C.ウェーバー G.ロッシーニ F.シューベルト G.ドニゼッティー
F.バイエル J.シュトラウス(父) F.ブルグミュラー
F.メンデルスゾーン F.ショパン R.シューマン F.リスト
R.ワーグナー T.エステン(オースティン) B.スメタナ
J.シュトラウス(子) G.ランゲ J.ブラームス G.ビゼー
M.ムソルグスキー П.チャイコフスキー A.ドヴォルザーク
E.グリーグ L.イヴァノヴィッチ G.プッチーニ C.ドビュッシー
E.サティ C.ラフマニノフ
≪近代音楽時代≫
M.ラヴェル C.ツェルニー G.ガーシュイン D.カバレフスキー
≪ルネサンス時代(15世紀~16世紀)≫
【中世西洋音楽(6世紀~15世紀)】と、【バロック音楽】の中間に位置し、その中心となるのは、ポリフォニー(複数の異なる動きの声部<パート>が協和しあって進行する音楽)による声楽や宗教曲です。
【G.パレストリーナ(1525-1594)】
≪出身地≫イタリア
≪作品≫教皇マルチェルスのミサ
教皇ユリウス3世(ローマ教皇)に求められ、1551年、教皇庁のジュリア礼拝堂の楽長、1555年にシスティーナ礼拝堂の聖歌隊歌手に任命されます。
イタリア・ルネサンスの時期、音楽はフランドル(オランダ南部・ベルギー西部・フランス北部)が中心であり、ローマ教皇庁の音楽隊にもフランドルの音楽家を招くと言う状態でしたが、パレストリーナはイタリア人音楽家として大きな名声を得ました。
カトリックの宗教曲を多く残し、【教会音楽の父】とも呼ばれています。
【C.モンテヴェルディー(1567-1643)】
≪出身地≫イタリア
≪作品≫オルフェオ
モンテヴェルディーの作品はルネサンス音楽からバロック音楽への過渡期にあると位置づけられており、長命(76歳没)だったため、その作品はルネサンスとバロックのいずれか、または両方に分類されます。
生前より高い人気を誇り、後世からは、【音楽の様式に変革をもたらした改革者】とされています。
≪バロック時代(17世紀初頭~18世紀半ば)≫
一般に通奏低音の使用と、感情に則した劇的表現が特徴とされ、ポリフォニー音楽が隆盛を極め、現在のものに近い、【旋律】や、【和声】などの概念が確立されました。
【A.ヴィヴァルディー(1678-1741)】
≪出身地≫イタリア
≪作品≫四季(春)
10歳より教会付属の学校に入り、25歳で司祭に叙階されます。
赤毛であった事から、【赤毛の司祭】と呼ばれるようになりました。
【J.S.バッハ(1685-1750)】
≪出身地≫ドイツ
バッハ一族は音楽家の家系で、他のバッハとの混乱を避けるために、【J.S.バッハ】と略記する事が有ります。
また、バッハ家で最も偉大で有ると言う意味で、【大バッハ】と言う呼び名も古くから使われます。
バッハはドイツを離れた事こそ有りませんでしたが、勉強熱心で幅広い音楽を吸収しました。
様々な要素を完全に消化して、彼自身の個性に満ち溢れた音楽を作り上げました。
≪古典派時代(1730年代~1810年代)≫
楽曲の均斉感と合理的な展開が重視され、ソナタ形式が発展し、機能和声法が確立され、調性が教会旋法から独立しました。
この時代の代表的な楽種として、【交響曲】や、【協奏曲】、【ピアノソナタ】や、【弦楽四重奏曲】などが盛んに作られました。
【M.クレメンティー(1752-1832)】
≪出身地≫イタリア
≪作品≫ソナチネOp.36 No.1
ベートーヴェンは、ピアノ曲に関してはモーツァルトの作品よりもクレメンティーの方がピアニスティックで素晴らしいと評価しています。
しかし、よく知られた作品は、初級の練習用教材であるソナチネアルバムの中に有る作品36の1番から6番までの6曲です。
【W.A.モーツァルト(1756-1791)】
≪出身地≫オーストリア
モーツァルトの父・レオポルトは息子が天才である事を見い出し、幼少時から音楽教育を与えました。
父とともに音楽家として、【ザルツブルク大司教ヒエロニュムス・コロレド伯の宮廷】に仕える一方で、モーツァルト親子は何度もウィーン・パリ・ロンドン・イタリア各地に大旅行を行います。
35年の生涯で、1,000曲を作曲しました。
【L.v.ベートーヴェン(1770-1827)】
≪出身地≫ドイツ
【楽聖】と呼ばれ、クラシック音楽史上、最も偉大な作曲家の1人と言われており、その作品は古典派音楽の集大成とされています。
20歳代後半ごろより持病の難聴が徐々に悪化、26歳の頃には中途失聴者となります。
音楽家として聴覚を失うと言う絶望感から、1802年には自殺も考えましたが、『ハイリゲンシュタットの遺書』と呼ばれる文書を書く事によって、強い精神力を持って自らの苦悩と向き合い、再び生きる意思を得て新しい芸術の道へと進んで行く事になります。
1827年3月26日、56歳で生涯を終えますが、その葬儀には3万人もの人々が駆けつけると言う異例の物となりました。
【F.クーラウ(1786-1832)】
≪出身地≫ドイツ
≪作品≫ソナチネOp.20 No.1
フルートの作品を数多く作曲し、同時代の作曲家ベートーヴェンに作風が似ていたため、【フルートのベートーヴェン】と呼ばれる事も有ります。
≪ロマン派時代1800年代初頭~1900年代)≫
ロマン派の時代は、バロック音楽や古典派音楽から受け継がれた和声語法を言い表すために、【調性】と言う概念を確立しました。
【F.バイエル(1803-1863)】
≪出身地≫ドイツ
≪作品≫バイエル教則本
彼の著した、『ピアノ奏法入門書』、いわゆる、『バイエルピアノ教則本』は、ピアノを学ぶ者に最適な入門書として長く親しまれています。
【F.ショパン(1810-1849)】
≪出身地≫ポーランド
当時のヨーロッパにおいてピアニストとして、また作曲家として有名でした。
その作曲のほとんどをピアノ独奏曲が占め、【ピアノの詩人】とも呼ばれるように、様々な形式、美しい旋律、半音階的和声法などによってピアノの表現様式を拡大し、ピアノ音楽の新しい地平を切り開きました。
ノクターンやワルツなど、今日でも彼の作曲したピアノ曲はクラシック音楽ファン以外にもよく知られており、ピアノの演奏会において取り上げられる事が最も多い作曲家の1人です。
【R.シューマン(1810-1856)】
≪出身地≫ドイツ
≪作品≫子供の情景(トロイメライ)・飛翔
シューマンの旋律はそれまでの作曲家の作品とも違う、鋭い表現力を持った人物でした。
和声的にも、法則を最大限に活用して、斬新な響きを作り出しました。
【R.ワーグナー(1813-1883)】
≪出身地≫ドイツ
≪作品≫さまよえるオランダ人
ロマン派歌劇の頂点として「歌劇王」の別名で知られています。
また理論家、文筆家としても知られ、音楽界だけでなく19世紀後半のヨーロッパに広く影響を及ぼした中心的文化人の1人でもあります
【J.ブラームス(1833-1897)】
≪出身地≫ドイツ
≪作品≫ハンガリー舞曲(第5番)
ブラームス自身はピアニストとして確かな腕を持っていましたが、同時代の名手と比べると地味な存在でした。
演奏活動は行っていましたが、後に作曲専業になる事を決意して、演奏活動から手を引きます。
彼の生きた時代にほぼ現在の形態に到達した、【ベーゼンドルファー】や、【スタインウェイ】に代表される、ピアノの技術的な発達の影響を非常に大きく受けています。
【П.チャイコフスキー(1840-1893)】
≪出身地≫ロシア
≪作品≫白鳥の湖・くるみ割り人形(行進曲)
親しみやすい作風から、クラシック入門の企画などで採り上げられる事が大変多い作曲家です。
叙情的で流麗、メランコリックな旋律や、絢爛豪華なオーケストレーションが人気の要因となっています。
【A.ドヴォルザーク(1841-1904)】
≪出身地≫チェコ
≪作品≫新世界より(家路)・スラブ舞曲(第1番)
チェコ国民楽派を代表する作曲家であり、後期ロマン派を代表する作曲家と言うにとどまらず、クラシック音楽史上屈指の人気作曲家でもあります。
【L.イヴァノヴィッチ(1845-1902)】
≪出身地≫ルーマニア
≪作品≫ドナウ川のさざなみ
ワルツ・ファンファーレ・行進曲や民謡に基づく作品など、大量の作曲をして、パリ万博では作曲賞を受賞しましたが、作品のほとんどが紛失してしまいました。
『ドナウ川のさざなみ』は、その哀愁を帯びた旋律、オーケストレーションの見事さなどから、東欧の作曲家のワルツ作品としては突出して有名な彼の傑作です。
【G.プッチーニ(1858-1924)】
≪出身地≫イタリア
≪作品≫トゥーランドット・
プッチーニはオペラの作曲に余念がなく、現在、頻繁に演奏されている物もオペラが中心で、イタリア・オペラにおいて最高の作曲家です。
【E.サティ(1866-1925)】
≪出身地≫フランス
≪作品≫ジムノペディー(第1番)
「音楽界の異端児」、「音楽界の変わり者」などと称されますが、西洋音楽の伝統に大きな扉を開いた革新者とみなされています。
ドビュッシーもラヴェルも、「その多くの作曲技法はサティによって決定づけられた物だ」と公言しており、印象主義(20世紀初頭、フランスで出来た音楽流派の1つ。気分や雰囲気の表現に比重を置いた音楽様式)の大作曲家たちはサティへの尊敬の念をずっと忘れる事はなかったほど、西洋音楽史上たいへん重要な人物です。
【C.ラフマニノフ(1873-1943)】
≪出身地≫ロシア
≪作品≫前奏曲嬰ハ短調(鐘)
ロシアのロマン派音楽を代表する作曲家として、敬愛したチャイコフスキーやリムスキー=コルサコフなどの影響を受けつつ独自の作風を築き上げました。
特徴として、教会の鐘の響きを思わせる重厚な和音や、半音階的な動きを交えた息の長い旋律、正教会の聖歌やロシアの民謡の影響などが指摘されます。
≪近代音楽時代(1900年代初頭~第2次世界大戦頃)≫
ロマン派の行き詰まりや、北アメリカにおける黒人音楽との接触などから、ジャズなどの新しいスタイルの音楽が生まれました。
西洋のクラシック音楽においておおよそ20世紀初頭(あるいは19世紀末)頃から、第二次世界大戦の終わり頃までの音楽を指します。
【M.ラヴェル(1875-1937)】
≪出身地≫フランス
≪作品≫亡き王女のためのパヴァーヌ
【オーケストレーションの天才】【管弦楽の魔術師】と言われる卓越した管弦楽法など、精緻な書法が特徴的です。
母方の血筋であるスペインへの関心は様々な楽曲に見い出され、『ヴァイオリン・ソナタ』『ピアノ協奏曲ト長調』などにはジャズの語法の影響も見られます。
【G.ガーシュイン(1898-1937)】
≪出身地≫アメリカ
≪作品≫ラプソディー・イン・ブルー
ポピュラー音楽・クラシック音楽の両面で活躍し、【アメリカ音楽】を作り上げた作曲家として知られています。
通称、【完璧な音楽家】。
【D.カバレフスキー(1904-1987)】
≪出身地≫ロシア
≪作品≫組曲「道化師」
35の子供のためのやさしい小品
サンクトペテルブルク(ロシアの都市。レニングラード州の州都)の数学者の家庭に生まれ、父親から数学に進むように激励されますが、1925年、父親の意に背いてモスクワ音楽院(1866年9月1日 ニコライ・ルビンシテインによって開設)に進みます。
子供の演奏技術と大人の審美眼との埋め合わせを特に狙った作品を書いただけでなく、存命中は、25のソ連の学校で音楽教育の実験的カリキュラムを設定しました。